江戸時代の初め頃、南部領鹿角郡草木(現 鹿角市)に定六という腕の良いマタギがいた。定六は南部の殿様から「領内のどこでも狩猟を許す。他国に出かける時は関所でこの証文を見せれば通行を許可する」という天下御免の巻物、狩猟免状をもらっていた。一説には、定六の先祖は鎌倉時代、源頼朝の富士の巻狩りの際に活躍したため、「全国通用の子孫永久又鬼免状巻物」なるものを拝領したという。
定六がある冬の寒い日、南蛮渡来の鉄砲を持ち、シロという犬を連れて雪の中を歩いていった。やがて、大きなカモシカを見つけた。追っているうちに鹿角境を超え、隣りの三戸領内まで入ってしまった。すると、地元の役人に声を掛けられ、どこの者だと聞かれた。それで定六は三戸領内に入っていることがわかった。そのとき、全国通用の巻物を出せばよかったのだが、あいにく家に忘れて来た。いくら話しても役人はわかってくれなかった。
そのため密猟者と間違えられた定六は代官所に突き出され、投獄された。そして翌早朝に処刑と決まった。定六が「巻物さえあれば、助かるのだが、、、」と呟くと、それを聞いたシロが片道十幾里もある家に走って帰った。そして、神棚にあった巻物をくわえると、再び代官所に引き返した。しかし、定六はすでに処刑されたあとだった。
シロは定六の遺体を引きずり、峠まで行った。そして、三戸領に向かって怨みの遠吠えを幾夜も繰り返した。その声は三戸の城下に響き渡った。やがて、三戸の城下に天変地異が起こり、定六の処刑に関連した人々はみな無惨な死を遂げたという。
定六を失った妻はシロを連れて、秋田領十二所館に近い葛原(現 大館市葛原地区)に移り住んだ。シロはいつの間にかいなくなり、捜すと近くの丘の上で死んでいた。そのあと、その丘を武士が通りかかると突然馬が暴れ出し、落馬して大怪我をする、ということが幾度となく起きた。
村人は定六を殺した武士に対するシロの怨念だと恐れ、供養しようと山腹に神社を建てた。それが現在もある老犬神社という。忠義な犬を祀るという、ほかにはあまり例を見ない神社である。祀られたあとに神社の下に湧き水が出た。畑に流すと害虫駆除ができた。これはシロの恩返しだと地元の人はありがたく思っているそうだ。(工藤隆雄 マタギ奇談より)
古い話だが、秋田のマタギにはこのような話が伝えられてきたそうだ。
史実とは多少の違いはあるものも『まんが日本昔ばなし』にも『さだ六とシロ』という話が登場するのでおヒマな方はどうぞ↓
https://youtu.be/ZJ8XCZjvROc
そしてこの夏、最後の旅が始まる。
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