ゲゲゲのハンター

先日、妻と調布にある水木しげるさんのお墓参りに行ってきた。私も幼かったので古い記憶で定かではないが、生前、水木さんと私の父は親交があったらしく実家の父の部屋には水木さんのゆかりの物やサインや色紙などが飾られていたことは今でも覚えている。漫画など読まない父の部屋に漫画本が並んでいるのは幼い私も不思議に思っていた。


私の父は私が27歳の時に亡くなり今生きていれば100歳くらいになる。戦争から帰ってきて一度結婚をするが離婚してしばらくお気楽な独身生活を続け、40歳を超えてから2度目の結婚をして私が生まれた。私の下には一人弟がいるが二人とも昔にしては遅い子供であった。


父は昔の話は私に全く語ることがなく母もあまり私には話してくれなかった。私の実家は静岡県の清水市(現在は静岡市清水区)にありそこで父は開業医を営んでいた。町医者になる前の若い頃は東京で生活しており、おそらく水木さんとの親交は東京にいた頃なのかもしれない。


今になってなぜこのような話をするのかというとこれも不思議な話である。


最近、かみさんがNHKオンデマンドにはまり、その中でも『朝の連続小説』が好きで片っ端から見ることになった。『おしん』から始まり『なつぞら』『ちゅらさん』を全て一気見した。一話15分番組なのでテンポ良く次に進めるのが見やすいのかもしれない。次に何見ようか?という話になりやはり『ゲゲゲの女房』は欠かせないでしょ!ってことになった。一話二話と進むうちに私の古い記憶も一気に蘇った。


私が小学校一、二年の頃の話だが『ゲゲゲの鬼太郎』はすでにアニメ化されていて学校でもブームになっていた。私はというと鬼太郎のちゃんちゃんこを羽織り下駄を履き前髪も伸ばしていたw今で言えばコスプレを40年も前にしていたことになる。秘密基地を作ったり渓流釣りに山へ連れて行ってもらったのもこの頃からだ。鬼太郎のように下駄を飛ばしてよく遊んだ。ある日、飛ばした下駄が人の家のガラス窓を割って母親にめちゃくちゃ叱られた。下駄は無念にも親に没収されてしまうが私は懲りずに運動靴を飛ばして遊んだ。運動靴は下駄と違って流線形になっているからなのかよく飛んだwオリンピックに『靴飛ばし』とか『下駄飛ばし』という種目があれば間違いなく私はオリンピック選手になっていたことであろう。


私の父は厳しい人ではあったが私が鬼太郎ごっこをしていることに対しては何も口を挟まなかった。というよりも喜んでいたようにも思える。あの時の水木さんのゆかりの物と思われる品々は父が亡くなってから母がほとんど処分してしまった。その後、母が亡くなった時に実家も処分することになり、今では水木さんと父の関係を知るものは一つもない。


水木さんも戦争で左腕を失くしているが私の父も戦争で右側の肺を失くしていた。背中に大きな傷があったが詳しい話はしてくれなかった。長いことそんな父のことや昔話を忘れていたが今では鮮明に思い出せる。それは全て水木さんのお陰だったのである。


私は東京で妻と出会い結婚し、妻の実家のある江東区亀戸に引越し自宅まで建てた。これも偶然ではあるが、水木さんも漫画家を目指し上京してきた頃、亀戸に住んでいらっしゃったことがあるらしい。それも同じ亀戸3丁目でご近所さんだったことがわかった。不思議な話は水木さんがたくさん作ってこられたが、これもただの不思議な偶然の話だけではすまないのではないかと私は思っている。

Workshop Vuovdi / 東京下町の小さな森の工房

プオレペアイッヴィ〜♪【Vuovdi】はラップランド北部サーミ語で『森』 管理人はディアハンターの東京スナフキン。サーミから学んだ生活の知恵を生かし、ブッシュクラフト的ハンティングやフライフィッシング、野営、アウトドアジビエに関する記事を投稿しています。