私はガチ猟師ってわけではないけど渓流釣りもやるしソロキャンプも登山もその他色々やるので割とアウトドアよりの人間だと思う。なんでそんなにアウトドアが好きなのか?って人にもよく聞かれるし、その都度自分でもよく考えることなので今回はそんな自分が普段考えていることをまとめてみたいと思う。
人類の歴史は700万年の進化史で見ればほとんどが狩猟採集時代だった
今の世の中、一般の人から見ればお金で物を買って様々な欲求を満たし、今ある環境や生活が当たり前だと思って生きている人がほとんどであろう。
そもそも人類は約700万年前にチンパンジーとは別々の道を歩み始め、約200万年前に私たちと大体同じホモ属が出現した。それから20万年前には私たち自身でもあるサピエンスが出現した。そういった時の流れの中でも700万年という間、人類はずーっと狩猟採集生活だったのである。
その700万年の最後の1万年くらいで農耕と牧畜が始まるがそれでもほとんどの人が狩猟採集を続けていたわけである。それから約5000年前に古代エジプト文明やメソポタミア文明。産業革命に至っては100〜150年くらい前の事。そしてパソコンやスマホ、インターネットにSNSが普及したのはここ10〜15年くらいの話だ。
進化的アンバランスな現代人
どうだろう。人類700万年から見たら、瞬きをするような一瞬で今の暮らしに変わったのである。こういう世界で人が生活しているということは進化的に見たら非常に異常なことだと私は思う。人間の体も身体能力も動作も心もこの700万年もの時間で鍛えられ作り上げられてきたにも関わらずこの瞬きをする一瞬で暮らしが変わってしまったのであるから。
また、私たちの体や脳の働き、心や感情といったものがこの変化にリアルタイムに追いついていき、今ある生活を本当に楽しいものと本当に感じているのか?というのは私は疑問に思う。
今ある生活環境がここからさらに100万年も1000万年も続けば話は別だが、私たちは進化的にアンバランスな生き物であることは確かだ。
私が狩猟やアウトドアをやりに行く理由
私の場合はアウトドア好きな家族環境に恵まれ、幼い頃から自然とふれあい遊ぶことが当たり前のように育ち、私自身も自然の中にいる方が好きであった。それは50歳を過ぎた今でも変わらず、形が狩猟やキャンプになっているだけだ。
私が思うに人は誰でも野生を呼び戻すスイッチのようなものを持っているのだと思う。私の場合はそのスイッチを子供の頃割と早い時期に見つけられたのだと思う。その他多くの人はその後見つけることになるか、見つけられないで大人になってしまう人。大人になってから見つけられる人。それとも完全に忘れて去ってしまっている人なのかもしれない。
私の周りにも狩猟や有害駆除をやっている猟師がいて、狩猟をやっている理由を聞くと「農家の人が困っているから」とか「野生害鳥獣の被害は国内だけで何百億円もあるんだ」という答えを良く聞くようになった。しかし私の場合、狩猟をする動機や理由は全くそれには当てはまらない。私の場合は人に言われたからやるとか人助けの為とかではなく、自分自身の本能から欲して自分でやりたいと思ってやっているからだ。
だからといって有害駆除や人助けを否定しているわけではない。それは何かというならば少なくともそれは狩猟を行う動機ではなく目的ではないのかと思う。
これが今の私にとっての結論だ。狩猟をしている時は何をしていても楽しい。今、自分が生きている実感がそこにあり、生かされている実感とそれに感謝する気持ちが自然と溢れてくる。獲物を追いかけてトラッキングしている時。トラッキング中の休憩。焚き火で昼飯を作っている時。獲物を捉えた時。銃に弾をこめる瞬間。引き金を引く瞬間。血痕をたどって追跡している時。倒れている獲物を見つけた時。獲れた獲物を解体している時。重たい肉を背負って下山している時。そして獲物が獲れなかった時でも、全てにおいて新鮮で楽しい。他のアウトドアも楽しいが狩猟している時が一番好きで自分には合っていると思う。自分でやりたいからやっているというのが良く自覚出来ている。
700万年の時を旅してきた人類の行方
人類は700万年という長い時間を旅してきたアウトドアマンだ。瞬きをしている間にこんな世界になってしまったが何も迷うことや悩むことなんかいらないだろう。落ち込んでいる暇があったら自然の中へ入って行って焚き火したらいい。古代人類は大昔から嬉しいことも悲しいこともキャンプファイヤーを囲んで肉焼いて酒飲んで仲間や家族とシェアして生きてきたんだから。
私は今日もそんな古代人の話をボケ〜っと想像してはニヤニヤ笑いながら鹿を追いかけている。だから獲物逃すんだよな〜w
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